育休中、一日100回くらい、夫に
「察してよっ!怒」
とキレていました。
子どもが泣いてたら
「察して、ミルク作ってよ怒」
とか、
洗濯物がそのままだったら
「察して、たたんでくれよ怒」
とか。
この「察して」というやつ、
実はとても厄介なやつです。
先日、夫が帰ってくるなり
「こんなに雲が厚くて雨が降りそうなんだから、洗濯物入れといてよ」(夫は洗濯係)
と、キレ気味にいってきて、
「はあ??」
となりました。
いや、もう日も暮れて暗い中、子どもを連れて必死な思いで帰ってきてるんだし、雨も降ってないのに、あー雲が厚くて、もうすぐ雨が降るかもしれないから、洗濯物入れとこかー
とか、考える余裕ないし。
こっちは、こっちの帰ってからの段取りのことで頭いっぱいだし。
冷蔵庫にキュウリとトマトがあるから、サラダはコレでー、あー、賞味期限の近いチクワどーすっかー
まずは、お風呂にお湯はって・・
とか、考えてるんだし。
「察して、とか、なに?!怒」
となりました。
人って、一緒にいても、全く別のことを考えているものです。
全然、違う文脈でモノゴトを捉えていたり、
そもそも見えているものが全く違ったり。
そんな中で「察して」というのは、
実は相手にとってはかなり唐突な要求なわけです。
ましてや、突然キレ気味にいわれたりすると、感情的にも「はあ?突然、何言っちゃってるの?このひと?」となるわけ。
わたしは、
察してくれないのは、当たり前。
たまに、察して、何かやってくれたりすれば「気が利くね」と思うように(無理やり)しています。
そして、やってほしいことは、きちんと言葉にする。
このように考えたり、行動したりすることで、
なんで、察してくれないの?!ムキーッ!!
という怒りを、本当に必要なとき以外は感じずにすみます。
育児・家事をしていると、どうしても思いがちで、
そんなこともできない夫が悪い!と思いがちな「察して」ですが、
いざ自分が言われる立場になると、理不尽な物言いだな、と感じ、
自分の反省にもなったのでした。